グラミー賞に3度のノミネートされたKenny Dope (ケニー・ドープ)は、ダンス・ミュージック世代に最も数多くの作品を残し続けているプロデューサー/DJの一人だ。ビートへの豊富な知識を持つことでも知られ、ハウス、ヒップホップ、ラテン、ジャズ、ソウル、ブロークン・ビーツを取り入れた類を見なかったスタイルで、ケニーは数知れないマスターピースを世に送り出している。1970年、ケニー・ドープはブルックリンのサンセット・パーク地区に育ち、80年代初め頃から地元のストリート・パーティーで、ハマりだしたばかりのヒップホップ・ビーツをプレイしている。既に当時から、マスターズ・アット・ワーク (Masters At Work)の名義で、ケニーは地元のパーティーをオーガナイズしており、そのパーティーにはトッド・テリー (Todd Terry)も参加していた。1990年、トッド、ケニーの二人が”リル”ルイ・ヴェガと出会い、直ぐに気が合った3人は、マスターズ・アット・ワークの名にふさわしく、彼らの共同制作を開始した。MAWサウンドがクラブで浸透し、アーティストやレーベルの間で騒がれるようになり、ビヨーク、R. ケリー、ジャネット・ジャクソン、ダフト・パンク、ルーサー・ヴァンドロス、ビービー・ワイナンズ、ジョージ・ベンソンといったビッグ・ネーム達のプロダクションやリミックスを手がけていく。ケニー・ドープのソロ・アーティストとしての飛躍的進展は、1995年にレコーディングされたアルバム『Bucketheads』たっだ。特にこのアルバムで異彩を放ったトラック「The Bomb!」にはケニーの「素材を生かしながらカッコ良く、誰もがノレる」曲を作りたかったという熱意が込められていた。シカゴの「Street Player」の走るドラムと高音域のサウンドをサンプリングしたこの曲は、アンダーグランドでセンセーショナルなヒットとなり、直ぐさまヨーロッパ・ポップ・チャートに乱入、ケニーのメジャー初となる大ヒットとなった。『Bucketheads』の成功後、ルイとのコラボーレション・プロジェクトに集中するため、ケニーはソロでの活動を休止した。運命的に重要な転機ともなったアルバム『Nuyorican Soul』には、紛れもなくケニーのクリエイティブなインプリンツが作品全てに刻み込まれている。この作品全ての裏側にケニーの存在があった。『Nuyorican Soul』のリリースにより、アメリカでも最も重要なプロデューサーの一人となったことが分かる。ここ10年間、ケニーは無数のトラックをリリースと何百ものシングルのリミックスを手がけながら、世界を股にかけDJプレイをこなしてきた。プロダクション・ワークでは、マルチプルなミュージック・スタイルをブレンドしながら、優れたビート・プログラミングで際だった才能で、究極のミックスを見せつけている。また長年積み重ねられたDJとしてのケニーへの評価は並外れに高く、ハウス、ジャズ、ファンク、ソウル、そしてヒップホップの音楽的メルティング・ポットを、カラフルに、エネルギッシュに、またソウルフルに聴かせてきた。プロダクションとツアーをフルタイムでこなす傍ら、ケニーはスコットランドのファンクDJのレジェンド、ケブ・ダージと共にKay-Deeレコードを設立。Kay-Deeはレアなクラシック・ファンク・レコーズを再発するレーベルで、「紹介されるべき、素晴らしい音楽がまだまだ眠っている。」とケニーは語る。またKay-Deeでは新人バンドも紹介していく予定だ。近年、ケニーのアーバン・ミュージックでの活躍も著しい。2010年初めにリリースされたR&Bシンガー、ラヒーム・ディヴォーンの『Love & War Masterpiece』(Jive)では、16曲中11曲のプロデュースを手がけ、自身のプロダクションにおいて新たな境地を開いた。ミキシングボードの前でも、クラブでのDJプレイにしても、再発するクラシックスを探すにせよ、ビート・マスター、ケニー・ドープは”マスター・アット・ワーク (職人)”として常に輝き続けてる。