イングランドはバーンズリーにある公営住宅で育ったDaleyは、生まれたその時からDJの教育を受け始めた。4人の兄弟姉妹と共に育つということはつまり、家の中にある全ての部屋で異なるジャンルの音楽が鳴っているということ。また、父の存在もDaleyがハウスミュージックのスターダムの基礎(あるいは強烈なベースへの耐性)を形成する助力となり、週末になると、強力なサウンドシステムを入れて改造したVW Beetlesの中で行なっていたワークショップへと少年Daleyを招いた。「俺と兄貴はいつもガレージにこもって、大音量で音楽を聴いていたよ。」
彼が本格的にDJ活動を始めたのは17歳の時で、毎週日曜日に地元のクラブで12時間から13時間のセットをプレイしていた。彼のレジデンシーはすぐに人気ナンバーワン・アフターパーティーとなり、遠方からもクラバーたちが駆けつけ、クラブの周辺には長蛇の行列ができた。「レコードボックスを4箱持って行って、絶対に同じレコードを2回以上かけないようにしていた。」その評判は広まり、2006年になると今度はAmnesiaでのパーティーCream Ibizaで、リーズのクラブGlasshouseの看板を掲げたレジデントに就任。しかし、彼のイビサへの愛が変わらなかったのとは裏腹に、彼がプレイするよう指示されていたサウンドと、彼が本当に好きだったサウンドの差を埋め合わせることが、次第に不可能になっていった。「2003年に初めてDC10に行った」と、彼は振り返る。「2007年頃には、もっとアンダーグラウンドなサウンドにハマっていった。」
彼の心は、自身がそれまで評価を獲得してきた音楽からすっかり離れてしまい、Daleyは制作とDJ活動を一気に止めてしまった。だが、ハウスミュージックラバーたちにとってはありがたいことに、それは長くは続かなかった。2010年、彼は「リーズの都心部へ行き、またレイヴに行きはじめた。クオリティの高いハウスミュージックが戻ってきたんだ!」そしてそれが、彼の活動再開のきっかけとなるナイトアウトだった。「仲間たちと一緒に夏のイビサに行った時、あるアフターパーティーに遊びに行ったんだけど、そこで音楽が止まった時に俺は自分のiPhoneをつないだら、たまたま自分のレコードがかかったんだ。数ヶ月間ハードドライブに入れっぱなしだった曲だった。リリースするつもりも、DJを再開するつもりもなかったよ。」しかし、そこに居合わせた人たちが、その曲をリリースするように彼を説得。そして彼は友人のデンマーク人DJ/プロデューサーのNoirにコンタクトをとり、その夏“Let It Ride”はNoir Musicから発売されることとなった。同曲は瞬く間にディープハウス・チャートのトップに上り詰め、そのベースが重く、ガラージの影響を受けた新しいスタイルの“ディープハウス”は爆発的な人気を博した。こうして「Hot Since 82」は誕生した。
そこから「Hot Since 82」が歩んできた軌跡は、まさに素晴らしいの一言。Pete TongのEssential New Tunesに4回、そしてBBC Essential Mixesに2回出演、2013年に衝撃のデビューアルバム『Little Black Book』、2014年にはミックスアルバム『Knee Deep In Sound』を発表。Green Velvet – “Bigger Than Prince”のリミックスではTop 10 Beatportセラーにランクイン。Mixmagのカバーを飾り、弦楽四重奏団を引き連れたライブパフォーマンスも行い、Coachellaへの出演を含む4回の北米ツアーはソールドアウト。イビサでは3シーズンレギュラーを持ち、最近ではファンを“誘拐”するイベントシリーズTAKENで最高にユニークなクラビング体験を実現した。