70年代のニューヨークにおける伝説的クラブThe Galleryの創設者。独自にカスタムした劇場や映画館などで使用されるAltec Voiceのスピーカーに3台のトーレンス製ターンテーブルを導入してDJミックスという方法論を生みだした。現在のクラブにおいてスタンダードと言えるスタイルだが、世界で初めてこうしたシステムを試みたのがNicky Sianoであり、The Galleryなのだ。当然の如く、The Galleryには有能な才能が集い、その中にはLarry LevanとFrankie Knucklesもスタッフとして在籍していた。彼らはNicky SianoからDJや照明のテクニックを学び、Larry Levanは77年からParadise GarageでレジデントDJとして活躍、Frankie Knucklesはシカゴへ渡り、WAREHOUSEのDJに専念した。The Gallery閉店後の1977年からはニューヨークのクラブSTUDIO 54のレジデントDJを務めたNicky Sianoは同時期にチェロ奏者のArthur Russellと共にDinosaur名義で「Kiss Me Again」を発表。この楽曲で彼はレコードをプロデュースした最初のDJとなる。1984年にDJ仲間であったDavid Rodriguezをエイズで失い、ダンスミュージック・シーンから一時引退。医療の学位を取得し、HIVウィルスに対する社会的緩和を広めるベストセラー「No Time to Wait」を随筆するなど、主に福祉活動に貢献してきた。その後Francois K.に誘われ、1998年にDJとして復帰し、2004年にはコンピレーションアルバム『Nicky Siano’s THE Gallery』を名門Soul Jazz Recordsよりリリース。タイトルが示す通り、The Galleryで自身がプレイしていた楽曲を収録し、現存のクラブシーンの根底に流れているスピリットを提示した。60歳を越えても精力的にDJを続けるNicky Siano。Larry LevanやFrankie Knucklesが亡きいま、伝説を体現できる唯一のDJと言えよう。